テーブルの上の真実

今日は、恩師である、英語の駆け込み寺の和尚の言葉をご紹介。 


「わたしは、討論とはテーブルを囲んで、テーブルの真ん中に置かれた〈物体〉の正体を見極めるために行なう話し合いのようなものだと考えています。 対象の物体は見る角度によって違うので、その像を見極めるには、角度の異なる見方が必要です。 おのおのの見方を持ち寄って、じっくり話し合うことで、次第に全体像が見えてくるのです。 反対側に座った人は、当然、まったく別の見方を出すかもしれません。しかし、それは、また正しい見方でもあるのです。」 

(日本人の英語はなぜ12歳か? 片野拓夫著、青灯社 より引用)


 数秘と絡めるなら、


 おのおの見方は、数秘で予測がついたり理解を助けるツールになると思います。

 みんな違って、みんないい、し、 

むしろ、異なる見方が必要なんです、実態を見極めるために^ ^ 


そして討論は、私がイメージするのは 

朝まで生テレビ的な感じじゃなく、 コタツでみかんでも剥きながら 


 みかんってさぁ、 


 から始まり、 


 金八先生の話題に移ったりして 


 人間てさぁ、 


 みたいな話になるのが好きです 笑 

(みかん載せてみた。笑。)


テーマは、抽象的になればなるほど、 実態を見極めることは困難になるでしょう。 


 でも、 時間も忘れて夢中で語り合えたら、 そこは、数秘を超えた何かで 繋がることができたりしてね^ ^ 


 そんな世界を見てみたいなぁと ふと思ったのでした。 


今年のスタバクリスマスもめちゃめちゃ可愛い〜♡

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