「これをやってみよう!」
の発想自体が、すでにリード。
この時に必要なのは「ひとり」だ。
「ひとり=寂しいやつ」
この公式は間違ってる。
「歌」を誰かに届けたければ、
大声を張り上げるよりも
まず自分の身体の芯を音で振動させなければ。
「共有」は自分に響かせた後でいい。
二重作拓也さん (スポーツドクター)
引用元:twitter
「身体に響かせる」と言う言い方が気になる。
私たちが誰かの発信や行動に「響いた」と思うとき、
きっとそれは、ご本人の体の中で響いた後だ。
子供への声かけもそうかもしれない。
自分が響いてないと子供にも伝わらない。
また、生オペラを初めて聞いたときに、
「身体が楽器だなぁ」と思ったことがあって、
オペラの方の発信も調べてみました。
すると、こんな興味深い文献が。
「身体という楽器を育てる」pdf 昭和音楽大学 木村 敦子先生(声楽)
引用
”美しい歌声とは” より
まず、体全体が「歌唱する楽器」であること、良い歌唱では、体のどの部分も表現のために総動員されることを教えるのは当然である。最も大切なのは、個々の学生が自分の体 という楽器と向き合って、自分の声作りを考えるように仕向けることである。
その他要約
・声楽を志すすべての人に望むのは、自分の体で、本当の声の響きを追求して欲しい
・声とは直接関係ない体のパーツも総動員する
・「よい呼吸法」のためには「よい支え」が必 要で、そのためには「よい体の基礎作り」が必要
・頭では分かっていても、自分の体を使って響きを作り上げるためには、いかに苦労しなければならないか・忍耐のいることか そのことを忘れてはならない
最も印象に残った部分の引用
感動の体験 より
現代は、大きな声が支持される傾向にあるが、声の大小はたいした問題ではない。(中略) 昔、モンセラート・カバリエのリサイタルを聴いた時のことである。予期せぬ交通渋滞 にあってしまい、開演時刻に少し遅れて会場に到着した。会場にすべり込んだ時、すでに カヴァリエの姿が舞台にあった。彼女は微動だにせず立っている。そのとたん、ぞくぞくと鳥肌がたち、涙がこぼれ落ちた。少し落ち着くと、それは彼女の美しいピアニッシモの 響きであることがわかった。なんとすばらしい、体にしみわたる声・・・。生まれて初め ての感動であった。
身体を響かせること、相手に染み渡ることに、声の大小は関係ない。言語も関係ない。ピアニシモの響きが、相手の体に伝わり、涙を流させてしまうとはー。
これって、何もオペラ歌手だけでなく、すべての人にとって大事なんじゃないかなぁ
自分の体と、呼吸と向き合って、意識して、響く声を出せたなら、
見えない力が働いて、いろいろ、うまくいくんじゃないかなぁ
だから何百年とオペラは続いてきたし、きっと日本の伝統芸能もそうですよね。
これからは、お互いが助け合い、繋がる時代、と言われています
でも、基本は、自分軸をしっかりすること。
そのためにも、きっと、ボディワークは大事なんだなと思いました。
響く身体をつくるために。
あんまりまとまってませんが、自分用メモということでご容赦を。
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